Monthly Archives: April 2016

ぜーんぶ「うそ」!

人は、いろんな事を考えて、計算して生きている。

もっともらしくいろんな事を言うし、いろいろなことを信じているし、その中に正しい間違い、

良い悪い、沢山のアイディアがあって、きりがない。。。(笑)

そして、ぜーんぶ個人的!!!

つまり、たった一つの真実は存在しない。

そして、もともと「真実」もない。

あるのは、起きていることに上乗せされたそれぞれのアイディアだけ。

そして、そして、どんなに深刻に見えようとも、感じようとも、

起きていて同時に何も起きていない。

life is not serious at all!!! ライフは全く深刻でない。

深刻さは、二元の現実ではとーっても当たり前だけど、

ナチュラルではないことだよ。

love you all ♥️

個人的でない世界

世界中の幻想の私が一つだけ求めていることは、分離の終わり。

それは、居心地の悪さ、何か足りない感覚の終わり。苦しみの終わり。

そして、それを消そうと探求が起きる。

ただ、分離の感覚が求めていることは、個人的でないこと。

もともと無い分離の終わり。☺️

分離はどこにも無い。あるのは、分離に見せかけた表現だけ。

解放は、全てが個人的でない未知の世界の始まり。

love from love

 

☆お知らせ☆

以前に収録した無料動画のお知らせです。

こちらの動画は、京都三千院の門主である、堀澤祖門さんと、阿部敏郎さんと菜穂の3人のSkype対談です。

もう、すでにご覧になっているかも知れませんが、素晴らしい動画なので、まだの方は是非ご覧く

ださい!

https://www.youtube.com/watch?v=p85PQ0S25GQ

そして、他の動画もご覧になりたい方は、サイト http://alreadyis.com の VIDEO から

無料登録すると、全ての動画がご覧になれます。

Enjoy loves ! ♥️

失うということ

現象の世界では、全てが変化し続けている。

かわらないものはない。つまり、それは失うということ。

幻想のわたしは、全てを所有していく。

自分にとって大切な何かをいつも一生懸命握りしめている。

本当は、何かを所有することは出来ないし、つねに失われ続けている。

全てを失ったとき、初めて無条件の愛に気づき、求めていた愛だけがのこる。

 

 

sweetness ♥️

love come from nothing for no reason.  愛が理由も無く、何も無いところからわいてくる。

passionate feeling arise from nothing   熱い感情が何もないところからわいてくる

sweetness of touching the keyboard. キーボードを叩く指先が愛おしい

birds sounds,  小鳥のさえずり

taste of tea…. 紅茶の味

feeling of lips.  唇の感覚

warms of the body. 身体の温もり

all so sweet and passionate.  全てに、甘く熱い感覚が涌く。

全てが愛おしい♥️

new story

 

何時も、一般に言う現実には、いろいろなことが起きている。

楽しいこと、ワクワクすること、嬉しいこと、愛を感じること、悲しいこと、辛いこと。。。

その中には、受け入れがたいことや、残酷なこともある。

そして、全ては、現実として現れ、現実に起きたこととして人の記憶、感情として残る。

ただ、どんなときも、どんな状況のときも、いつも究極の自由は確実にすべてに平等に与えられて

いる。

その自由は、環境や状況に脅かされない、完全な自由。

それは、見えないだけで、常にあり続けている。

全てが起きていて同時に何も起きていない現実。本当は、これしか無い。。

いつかこの可能性が、人間の現実として捉えられるストーリーが生まれるかもしれないね。☺️

so much love from love.

 

実はね。。。。

実はね、誰も生まれてないし、死なない。

誰も何もしていないし、どこにも向かってない。

ぜーんぶ、起きていて、同時に何も起きていない。

とーっても不思議だけど、これ本当☺️

life is magic !!!だねー。

Don’t be too serious guys!!  深刻さは必要ないよ。

love you all 💗

永遠に満足しない幻想のわたし

幻想の私は、何を手に入れても、満足しない。

幻想の私には、永遠につづく満足は永遠に訪れることはない。

なぜなら、幻想の私は、満足しない性質をもっているのと、何時も変化のなかにいて、

二元の現実に、変化し無いものは存在しないから。

毎日いろいろなことが自分に起きてくるから、次から次とそれをこなしていく。

そして、何時もこの変化によって翻弄それ続けている。

大変なことばかりではない。エキサイティングで、ワクワクする出来事も沢山起きてくる。

そして、一つが終わるとまた次のエキサイティングに向かって走り続ける。

個人差はあるにせよ、次の喜びを求めてうごいている。

これが、表面的幻想のわたしのメカニズムであって、良い悪いの問題ではない。

ただ、幻想の私には、永遠に求める満足は訪れない。

それは、幻想の私が求める満足は、私のものになりえない、個人的でないものだから。

私の幸せを求める個人にとって、個人的でない満足は意味が無いからである。

そして、一番難しいのは、追い求める前にすでに手にしているからかもしれない。

すでにたどり着いている、個人的でない永遠の満たされた世界。

love from love

 

 

原因と結果2

原因と結果が無いのは、時間の中にしか存在しない分離の存在の理解を超えているかもしれない。

なぜなら、分離の存在は、時間の中のある地点にたって現実を見ているから。

でも、実際は時間はどこにもないし、時間がないから原因と結果もない。

ただ、分離が起きた瞬間から、表面的時間と空間が生まれる。

分離の無いところには、時間も空間もない。

分離の現実は、時間の現実。過去から今があり未来に向かって全てが時間の中で起きている現実。

そして、時間の中で起きていることが、幻想のわたしにとって疑いも無い現実。

その中で、全てに原因と結果があるようにみえる。

グラスを落とせばわれたり、食べ続けたら太る。ただ、これは原因と結果があるように見えるだけ

で、実際に原因と結果があるわけではない。

全てが規則正しく現れることもあれば、そうではないことも沢山ある。

実際は、どんなことでも起き得るといえる。(実際は何も起きていないけど)

このような話をすると、人は答えを求めるし、知りたいと言う欲求がわく。

それは悪いことではないし、自然に理解も起きてくるだろう。

ただ、一つだけいえることは、理解すること、何かを知ることの中には、求めていることは無い。

ライフに答えは無いから。。。

世界中のすべてが求めていることは、知り得ない現実。

「知らない」ということ。

love from love

原因と結果

原因と結果は存在しない。

それは、時間自体が存在しないから、あり得ない。

ただ、人間の現実は時間の中で起きていて、全てが時間に沿って起きている。

原因と結果も表面的には起きているように見えるし、感じる。

ただ、実際は、全体の表現がそのように現れているだけで、原因と結果がある訳ではない。

原因と結果を個人的にとることによって、沢山の感情がわく。

自分でやったー!と思えば、喜びがわき、自分の責任で失敗したと思えば、後悔や自分を責める感

情がわく。同じように、他人が失敗すれば、他人に対して怒りがわくかもしれない。

感情は、分離が無くても涌くし、これが良いとか悪いとかではないし、それ自体に問題はないし、

それも起きていること。

ただ、どんなことが表面的に起きていても、原因と結果はどこにも無い。

あるのは、「これ」だけ。。。

そして、それが世界中の誰もが例外無く求めていること。

どんなに素晴らしいストーリーよりも求めていること。

so much love from love xx

 

「分離が生み出す問題」と「問題と言う幻想」

分離の現実は、全てが分離してみえる。

全てが自分という中心から離れて見えるし、その離れた感覚が不満足をうむ。

気づいていなくても、いても誰もがどこかで持っている、足りない感覚の原因である。

そして、全てが離れて見えるだけではなく、脳の発達した、概念で物事を見る人々は、

全てを個人的にとる。

この、全てを個人的にとる ところが全ての精神的な苦しみ、また社会的に起きてい表面的な

問題の原因。どんな規模の問題も、全ての元は個人的。分離を感じている存在が、起きている

ことを個人的に捉えることから生まれる。分離の無いところには、問題は存在しない。

表面的な出来事にたいし、自分のアイディアと違えば、相手を攻めるか、自分を責める。

そして、個人的なエネルギーはこれを長く抱えて、何度も繰り返し考えたり、同じ思考が涌いてく

る。個人的エネルギーは、一つのことが引っ付くエネルギー。

分離が悪い訳ではないし、沢山エキサイティングなこともある。

でも、同時にこれらのことも表面的には起きてくる。

世界で起きている表面的問題の全ては、分離から生まれているとも言える。

しかし、大きなパラドックスは、分離は、幻想であり実際は起きていない。

分離も愛の表面的表現であり、実際は問題はどこにも無いし、

全てがすでつねに愛の完璧な表現。

問題は、幻想の分離の存在にしか起きない幻想である。

so much love from love