Monthly Archives: February 2016

始まりと終わり

現象の世界には、どんなことにも始まりがあり、終わりがある。

そして、始まったときから、終わるときまで、時間で繋がっている。

一瞬の出来事もあれば、長く継続しているように感じることもある。

人の人生は、生まれたときから始まり、死ぬ時が終わり。

その間を継続した時間を、人生 と呼ぶ。

始まりがあれば、必ず終わりがくることを、誰もが知っている。

でも、実際は、時間は存在しない。

始まりと終わりは永遠の現れ。

あるのは、「永遠」だけ。

深刻さ

「わたし」にとって、人生はとても現実であり、時より深刻になる。

深刻でなくても、殆どの「わたし」にとって、人生は現実でしかないから、起きていることが現実

にしかみえないから、すべてがとってもリアル。

でも、全ては、ワンネスのゲームのようなもので、深刻さはない。

ワンネスがいろいろな形を表現しているだけだから。

とっても単純!☺️

深刻さに、良い悪いはないけど、ナチュラルではない!

life は、生き生きとした愛。これがナチュラルな姿

much love, xx

「いつか」

「いつか」は、ないよ。

人は当たり前に、次の瞬間に良くなることを思い、生きている。

でも、「いつか」はない。

あるとしたら、「いつか」という思い、それに向かうエネルギーがわいているだけ。

でも、「いつか」は、すでにある完璧を先延ばしにしていること。

待たなくていいの。もうすでにあるから。

待っても変わらないよ。すでにあるから♡

苦しみの原因

どんなことが起きているようにみえても、すべてが完全なエネルギーの表現。

いつでも常に完璧、完成系。

そして、このエネルギーは、表現しつづける。永遠に。。。。

ただ、いろいろな形として表現する為、それぞれがバラバラに独立した、

別々のもののようにみえる。でも、実際は全くどこにも境がない!!!

人は、全ての出来事を個人的にとるため、また、出来事が自分とはなれて起きている

と感じるし、それが、自分に対して起きていると感じるので、苦しみを感じる。

苦しみの原因は、起きていることと、自分との距離。

何かを求めるのも、本当はこの距離を埋めたいだけ。

距離の無いところには、苦しみはありえない。

そして、実際は距離はどこにもない。

すべてが、一つの現れ。

完璧な、愛の表現。

 

☆お知らせ☆

先ほど、ナチュスピの担当の方から、ハワイツアーについての相談がありました。

初日のランチは、エビのお店かロコモコのお店どちらかがいいか、という相談。(笑)

一気に、ハワイムードになりました。☺️

2月末までの格安チケットでのお申し込みは、あと数席残っているそうです!

とっても久しぶりのハワイ、ワクワクします♡

お申し込みは、こちらから↓

http://www.naturalspirit.co.jp/workshop/owada-naho/owada-hawaii_2016.4-.html

Funny Phantom self ♡

人間は、自分が世界とはなれた独立した存在だと思っている。

そして、自分の意志と選択、また、責任で行動していると確信している。

だから、何か問題が起きたときには、自分のせいだと自分を攻めるか、相手、状況、まわりを攻め

るかのどちらかが起きる。それぞれの意思と行動で、ことが起きたことになっているから、自分か

相手のせいで、「わたし」が不幸を感じたというシナリオがある。

何か自分にとって不都合が起きると、ストーリーは様々でも、自分が何かのせいで不幸を感じた

というシナリオは何時も一緒。

その行動に至ったまでの、思考はどこからわいてきたのだろう?

その時起きた決断はどこから涌いたのだろう?

そこには、本当にそれを決めた「わたし」はいたの????

「わたし」は、おかしなファントム!(幽霊)

Funny phantom self …♡

幻想の檻

人は、いつも「何か」になろうとする。

偉い社長、成功したビジネスマン、お金持ち、優しいお母さん、可愛い奥さん、賢い人、

明るい人、いつもハッピーなひと。。。etc.

身体の数だけそれぞれのアイディアがある。そして、それに近づこうと努力する。

そして、何かになろうとしていなくても、自分はこういう人というアイディアを

何かしら持っている。

そして、そのアイディア通りの自分がそこに常に居る感じがする。

そして、そのアイディアの「わたし」に縛られているし、小さく型にはまっている。

人は、一生懸命何かであろうとするけど、

何かであること、何かになることは、ちっとも自由でない!

そして、世界から独立した「何か」は存在しない。

すでにある自由を、ただみえなくしている一番の犯人は、「わたし」という ’幻想’の檻

本当は、つねにオープンで明らかで、輝くありのまま、自由しか存在しない♡

so much love, xx

一つの存在

ナチュラルな世界は、ただ起きているすべて。

とってもシンプルで、明らかで、そのまま。

そこに上乗せされたストーリーの方が、確実に当たり前にある現実として存在し、

それはすべてがわたしと他人、わたしとまわり と言うように、分離の世界。

そして、わたし が 全ての中心。

でも、動物や他のものには、このような わたし が存在する現実は起きていない!

元々、分離、個々と言うことは、ナチュラルではないの。

でも、そのナチュラルでないところが、人々にとって一番大切な、自分と言う存在。

だから、敏感な人は、何か足りない、居心地の悪い感覚をどこかで常に感じている。

そして、一生懸命何かで紛らわそうとする。

でも、自分のいる状況を変えること、ものを手に入れて一瞬の満足感を手に入れることでは、その

居心地の悪さを消すことは出来ない。居心地の悪さの原因は、世界と離れている、全てが一つ一つ

独立しているという所から来るから。

でも、この個々という一つ一つ独立している存在は、まったくナチュラルでない!

だって、ナチュラルな現実には、分離はどこにもなくて、全てが一つの存在だから。。。。

すべてが一つの存在♡

so much love to you all….. xx

身体の中には誰もいない!

からだの中には、だれもいない!これ、本当☺️

からだを自分だと思っているから、世界とはなれて感じる。

からだが自分だと信じているから、世界から独立して、自分で何かをしている気がする。

からだが自分だと感じているから、収縮した感覚が生まれる。

からだが自分とおもっている、わたし はちっとも自由でないし、安全でない。

身体は、病気になるし、けがもするし、いつかは死ぬ。

だから、つねにどこかに不安があったり、恐怖がなんとなくあっても、当然かもしれない。

そして、自分を向上させようと、一生懸命プラクティスをしている間は、自分がそのからだで

あることを、ずっと確認し続けている。

もちろん、プラクティスも、ライフの完璧な表現で、それも、表面的にはおきていること。

からだは、だれかのものではないし、だれかではない。

そして、じぶんがからだだと思っている存在はどこにもいないから、これがまた不思議☺️

からだも、LIFE.  どこまでいっても、LIFE ……

LIFE is Miracle ♡

 

☆お知らせ☆

4月にハワイリトリートが行われます。

ナチュラルスピリットさんから、great news です☆

航空会社の変更によって、旅行費が2万円安くなったそうです!

美しいハワイで、少人数で行われるリトリートは、

いつものパワフルなサットサンとはまた違う、

穏やかでアットホームな感の、楽しいリトリートを計画しています。

日本からハワイへの移動も皆さんと一緒なので、

普段なかなか無い、皆さんとの交流のチャンスも沢山あると思います。☺️♡

お申し込みは、ナチュラルスピリットのサイトからお願いします。↓

http://www.naturalspirit.co.jp/workshop/owada-naho/owada-hawaii_2016.4-.html

 

 

 

 

already complete ♡もう完成系

もし、一人でいて寂しい思いが涌いていたり、愛が足りないと感じていたら、

それはもう起きちゃっているから、それ以外は起きなかったけど、

実際は、どんな感情も、空中に浮いているだけ。

だって、どこにも境は無いから!何かを所有できる存在は無い。

全体しかなくて、すべてがもうそれ自体で愛の完成系。

「愛が足りない」って本当はあり得ない。だって、全部愛だから。

Happy valentine’s day!! ♡

much love xx