「分離が生み出す問題」と「問題と言う幻想」

分離の現実は、全てが分離してみえる。

全てが自分という中心から離れて見えるし、その離れた感覚が不満足をうむ。

気づいていなくても、いても誰もがどこかで持っている、足りない感覚の原因である。

そして、全てが離れて見えるだけではなく、脳の発達した、概念で物事を見る人々は、

全てを個人的にとる。

この、全てを個人的にとる ところが全ての精神的な苦しみ、また社会的に起きてい表面的な

問題の原因。どんな規模の問題も、全ての元は個人的。分離を感じている存在が、起きている

ことを個人的に捉えることから生まれる。分離の無いところには、問題は存在しない。

表面的な出来事にたいし、自分のアイディアと違えば、相手を攻めるか、自分を責める。

そして、個人的なエネルギーはこれを長く抱えて、何度も繰り返し考えたり、同じ思考が涌いてく

る。個人的エネルギーは、一つのことが引っ付くエネルギー。

分離が悪い訳ではないし、沢山エキサイティングなこともある。

でも、同時にこれらのことも表面的には起きてくる。

世界で起きている表面的問題の全ては、分離から生まれているとも言える。

しかし、大きなパラドックスは、分離は、幻想であり実際は起きていない。

分離も愛の表面的表現であり、実際は問題はどこにも無いし、

全てがすでつねに愛の完璧な表現。

問題は、幻想の分離の存在にしか起きない幻想である。

so much love from love

One thought on “「分離が生み出す問題」と「問題と言う幻想」

  1. 中井 漂太

    a.分離した現象世界をどのように救いますか。それ自体が完璧であるのなら、愛は必要とされないのではないですか。

    b.幻想も分離も完璧であるならば、解放は特に必要ないのではないですか。

    c.もし苦しみや辛さを解くために、解放や、悟りや覚醒が必要であるなら、解放の仕方をまず分かりやすく解くのが、本義(登場してきた意義)ではありませんか。

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