Monthly Archives: April 2016

☆お知らせ☆

来週の12日から、4泊6日でハワイリトリーとが行われます。

担当の方からご連絡があり、まだ飛行機のチケットがギリギリ取れるそうです。

もし、行きたいなーと思っていらっしゃった方がいましたら、まだお申し込みに間に

あいますよー☺️

野外の、美しい大自然の中でこのメッセージがシェアーできるなんて、とってもワクワクし

ます。💗 楽しい企画も沢山あるようです!

お申し込みは、こちらからお願いします。→ ハワイリトリート

すでにある新しい可能性

ここから出てくるメッセージは、二元のものではない。

それは、誰かの為になる情報ではないし、実際は、誰かに伝えられているわけではない。

それは、元々分離の存在はどこにもないから。

ナチュラルな世界、分離の存在には永遠に知り得ない現実の描写。

ただ、それは特別な世界ではなく、ただみえないだけで、誰もがすでにたどり着いていて、

一度も離れたことの無い世界。

もうすでに誰もが知っている、「わたし」が生まれる前の世界。

分離は元々どこにもない。

あるのは、分離という概念と、それを所有している「幻想のわたし」だけ。

「わたし」と呼べる中心はどこにも無い。

あるのは、すでにたどり着いている、永遠に知れないすべて、愛 そのもの。

so much love from love

 

葛藤

沢山の幻想の私は、葛藤を持ちながら生きている。

葛藤は、表面的本意と、合わせなくてはならない現実との距離。

そして、人は沢山のアイディアの中、決まりの中で生きている。

それらが当たり前に存在していて、当たり前に正しい、真実、そう決まっている。

と思い込んでいる。そこから葛藤が生まれる。

しかし、これしか正しくない。これしか真実でない。これしか道はない。

「こうでなきゃならない。」なんてあり得ない。

なぜなら、実際は起きていることにまったく意味が無いから。

社会的ルール、風習さえも、元々は、個人のアイディア。二元の現実は、全てが実際は個人的。

全ては概念と言う、起きていることに対する後付けであり、社会が作ったルールにすぎない。

そして、それを分かりつつも、自分を抑え、決まったルールに合わせることをやめられない、「幻

想の私」がたくさんいる。

それには、自分の望みを優先するよりも、ルールに合わせている方が、わたしにとって、都

合が良く、安全であり、一定の幸せは保たれると信じているから。

しかし、すでに起きていること(ナチュラルな望みや、真に求めていること)よりも、後付けの概

念を優先し、社会の概念やルールに合っていない自分は十分でないと言うところを強く感じ、世界

中が唯一求めている、不満足、足りない感覚の終わりとは、全く逆のことがすでに起きている。

 

葛藤や苦しみはは、起きていることと、自分との距離。 距離の無いところには苦しみは存在しない。

つまり、涌いてきていることと、そこには合わせないとならないこととのギャップ、距離がある。

ここでいっていることは、良い悪いではないし、どちらが正しいということでもない。

もしおきていたとしたら、それさえも起きていること。

そして、実際は、起きていることと、距離のある存在はない。

ただ、求めていることは、「幻想の私」の表面的、概念的幸せではなく、ナチュラルにわいてくる

ことそのもの。

距離の無いところには、苦しみは存在しない。

much love from love

行為者はいない

ラメーシュバルセカールの教えの基本に、

「There is no doer」「行為者はいない。」

と言う言葉がある。

まさに、「解放」は、行為者の終わり。

そんな中心はどこにもない。

ただ、行為者がいないのと、表面的行動は全く関係ない。

そして、自分が行為者だと思っている存在は、つねにではないが、

いろいろなことで苦しむみ、様々な問題を抱えている。

自分がやっているために、間違えれば、後悔し、相手が間違えれば、相手を攻める。

将来に対する不安や、全てに対する責任も 自分でどうにかしないと行けないとおいう、

自分が行為者だと言うところからくる。

そこから、表面的に 深刻さ、争いや、精神的病気、いろいろなことが引き起こされる。

そして、この深刻さ、沢山問題を抱えた部分だけが、疑い用も無い現実になっていく。

行為者はどこにも居ない。だから、本当は苦しんでいる存在もないけど、

表面的には、そこが現実として捉えられる。

行為者の終わりは、無条件の愛そのものだけがのこる。

あるのは、すでに起きている全てだけ。

so much love from love

 

pure aliveness 純粋な生命

there is only pure aliveness

no matter what is appearing, there is only pure aliveness

anger, sadness, joy, bliss. peace…everything

there is nobody here to have it, experience it.

because nothing is happening for somebody.

there is only pure aliveness which is totally free to express itself.

あるのは、純粋な生命だけ。

表面的に何が起きていても、あるのは、純粋な生命だけ。

怒り、悲しみ、喜び、至福、平和。。。。。すべて

ただ、これらを経験し、持っている存在はない。

全ては誰かに向かって起きていないから。

あるのは、完全に自由に表現している純粋な生命だけ。