沢山の幻想の私は、葛藤を持ちながら生きている。
葛藤は、表面的本意と、合わせなくてはならない現実との距離。
そして、人は沢山のアイディアの中、決まりの中で生きている。
それらが当たり前に存在していて、当たり前に正しい、真実、そう決まっている。
と思い込んでいる。そこから葛藤が生まれる。
しかし、これしか正しくない。これしか真実でない。これしか道はない。
「こうでなきゃならない。」なんてあり得ない。
なぜなら、実際は起きていることにまったく意味が無いから。
社会的ルール、風習さえも、元々は、個人のアイディア。二元の現実は、全てが実際は個人的。
全ては概念と言う、起きていることに対する後付けであり、社会が作ったルールにすぎない。
そして、それを分かりつつも、自分を抑え、決まったルールに合わせることをやめられない、「幻
想の私」がたくさんいる。
それには、自分の望みを優先するよりも、ルールに合わせている方が、わたしにとって、都
合が良く、安全であり、一定の幸せは保たれると信じているから。
しかし、すでに起きていること(ナチュラルな望みや、真に求めていること)よりも、後付けの概
念を優先し、社会の概念やルールに合っていない自分は十分でないと言うところを強く感じ、世界
中が唯一求めている、不満足、足りない感覚の終わりとは、全く逆のことがすでに起きている。
葛藤や苦しみはは、起きていることと、自分との距離。 距離の無いところには苦しみは存在しない。
つまり、涌いてきていることと、そこには合わせないとならないこととのギャップ、距離がある。
ここでいっていることは、良い悪いではないし、どちらが正しいということでもない。
もしおきていたとしたら、それさえも起きていること。
そして、実際は、起きていることと、距離のある存在はない。
ただ、求めていることは、「幻想の私」の表面的、概念的幸せではなく、ナチュラルにわいてくる
ことそのもの。
距離の無いところには、苦しみは存在しない。
much love from love
そうだったのか!
って、何かが言ってる(^-^)
私のモヤモヤの原因が、もしかしたら、菜穂さんのこの説明な気がしてきた!