みんなへ♡
先週末、月1のオンラインサットサンでした!
「基本のメッセージ」ということだったのだけど、
最近あまり伝えてなかった、究極のメッセージでした。
一ヶ月動画を見放題なのだけど、
早速次の朝からみんなが、また見ていたよ♡
究極な部分はまた次回シェアーすることにして、
きょうは、オンラインで出た一つの話題、
そしてここで湧いてきたことをちょっとシェアーします。
普通生きている間に、様々なことが起きてくる。
楽しいこと、嬉しいこと、感動すること。
また、その反対に、悲しいこと、辛いと感じること、
エネルギーがでなくて、重いと感じることもある。
一つの出来事を比較の中で見るため、どちらかが起きてくる。
そして、普通「こういう時は幸せ」「これがあったら幸せ」
「こうなったら幸せ」という自分の中の定義を持っている。
オンラインサットサンで出た幸せの定義は
「やりたいことがやりたい時に自由にできること!」
とっても納得できる意見。
ただ、この定義が幸せの条件であれば、例えば歳をとって体が昔のように自由に
動かなくなったら自分の幸せは犯されるということにつながる。
これは、一つの例に過ぎないけど、定義にあってないことが起きている時は、
まだ、完全な幸せを手にしていないというふうに普通人は感じる。
しかも、それを世界でおきている他人や出来事と、自分や自分の状況と
比較の中で見ているため、余計にその思いが強まることがある。
もちろん、その逆もいえるけど、ここで何をいいたいかというと、
当たり前に聞こえるけど、普通人が求める幸せは条件によって手に入ったり、
逆に失われたりするということ。
だから、自分が幸せと感じる条件を手に入れることがとても重要で、
そのことに対して深刻になってくる。
そして、人はこの条件的な世界でなるべく幸せを手にしようと生きている。
そして、残念ながら永遠につづく幸せの条件は、分離の世界には存在しない。
それは、変化の現実であり、終わりがあるから。
でも、ここで毎度でてくる良いお知らせがある!(笑)
普段見えないだけでもう一つのナチュラルな現実がある。
それは、永遠で無条件な世界。
ストーリーをよくすることでは手に入らない、
そして、ストーリーをよくする前にすでにある
無条件の愛は、すべてに平等に与えられている。
条件的な分離の現実、夢の世界がすべてに消えた時、
一度も失われていない世界は輝きだす。
そして、無条件の喜びは溢れ出す。
love from love