Monthly Archives: May 2016

よりどころ

人は、何か心のよりどころを必要とする。

パートナー、子ども、友人、先生、マスターと呼ばれる人たち・・

人によっては、お金だったり。笑

それは、幻想の私は、何かに頼りたいし、掴まれるところがほしい。何かで安心したいから。

これは、悪いことではないけど、本当はどこに居ても、何が起きていても、

何も必要ない完全な愛の中につねにある。

このことが自然と明らかになったとき、「よりどころ」はよりどころではなく、

ただただいとしい、あるがままの存在として眩しくうつるだろう。

 

 

☆お知らせ☆

個人セッションは、残りが福岡の数枠だけになりました。

沢山のお申し込みありがとうございました。とっても楽しみです☺️

サットサンは、時間が短くなった分、値段も以前の半額以下になっています。

みんながどんどん消えて、(笑)真の自由がどんどん明らかになることにとても

ワクワクします。

サットサンは、すでにある真の愛をシェアーする場です。

リラックスしておこしください♡

お申し込みはこちらからです。→ already in love 

with lots of love

菜穂

☆お知らせ☆

おはようございます☺️

7月のサットサンと個人セッションの受付を開始しました!

今回は、東京、名古屋、大阪、九州へ行きます。

九州では、初、ランチ会もあります。とっても楽しみ。☺️

申し込みは こちらから → http://alreadyis.com お願いします。

皆さんにお会いするのを楽しみにしています。♡

with love,

菜穂

あたりまえ

幻想の私は、

あたりまえにそこに存在していると思っている。

あたりまえに次の瞬間があると思っている。

あたりまえに自分と周り、自分と世界があると思っている。

あたりまえに過去も未来もあると思っている。

あたりまえに思考も感情も自分のものと思っている。

でも、それは本当? それは、どこまで確かなものなのだろうか?

確かさはどこにもない。

全てが消えたとき、永遠に知ることができない愛の謎だけがのこる。

love from love

こどものころ2

子どもの頃、とても小心者で、臆病だった。

筆箱を忘れたとき、恐怖に襲われたのは、それが、一大事だと思っていたから。

一つ一つ起こることに対して、間違いは起きては行けないことで、いつも完璧でないと

いけないと思っていたから。

間違いをしたら、自分の幸せが失われると思っていたから。

大人の現実でも、どんなに深刻に感じられる出来事も、起きているストーリーが違うだけ

で、実際は同じ。

起きていることが、現実でしか無く、そこだけしか見えないから、深刻さがある。

どこかで大きなコントロールのきかない世界に対する、小さな自分を感じている。

どんな小さな子どもも、どんなに大きな大人も変わらない。

でも、ただ忘れてしまっているだけで、本当はみんな知っている。

深刻さのない、すでに求めている楽園にたどり着いていることを。

so much love from love.

こどものころ

子どもの頃、菜穂はとても神経質で、普通の人の何倍も臆病だった。

どのくらい、臆病で小心者だったかと言うと、

例えば、小学生のころ、ある時、学校についたら筆箱を家に忘れてしまったことに気づいた。

そうしたら、「もう、人生終わりだ、どうしようー」と犯罪でもおかしたくらい

深刻になって、ドキドキして、心臓はばくばくしていた。(笑)

筆箱を忘れてしまったことが、取り返しのつかない、とっても大きな間違えで、

人生の一大事を起こしてしまったように感じた。

だから、人生がいつもしんどかった。

いま、思い出されるととてもおかしい、え?と思う小さなことが、

(きっといまなら、忘れたことさえ気づかないかもしれない。(笑))

その時菜穂は、本気でそう感じていた。小さな出来事が、本当に大きく感じていた。

程度はちがうにせよ、このようなことは、日常で良くあること。

でも、起きていることは、ニュートラル。そして、本当に深刻でない。

つまり、どこまでも深刻に捉えることも出来るし、どこまでも楽観的にも捉えられる。

深刻さも起きてくることだけど、起きていることは常にニュートラル。

深刻さは、そのとき感じている幻想の個人にとってだけ。

そして、どんなに深刻で、どんなに心臓がバクバクすることが起きても、

いつも愛の中。

深刻さがおきても、深刻さによる、苦しみは必要ないよ☺️

世界中は愛し愛され、全ては愛そのもの。

love you so much all… from love ♡

そのまんま

全ては、そのまんま

そして、これ以上、何かを足すことも、引くことも出来ない。

このそのまんまには、人間が思うような現実は存在していない。

ただ、二元の現実では、コミニュケーションをとることからはじまり、

様々なストーリー、ドラマが繰り広げられている。

そして、気がついたときには、そのドラマの主人公として全てが展開している

現実だけが残った。これが殆どの人々の生きる現実。

ただ、ストーリーによって出来ている現実は、元々あったものでもないし、

発達した脳を持った人間だけが経験している現実。

だから、もともとある、ナチュラルな現実ではない。

ただ、元々あるものではないというだけで、良くも悪くもない。

このストーリーの現実さえ、そのまんま。

様々なストーリーも、本当は変わる必要が無い。

そして、寝るときの夢のように同時に全く起きていない。

全てが、そのまんまでそれ以上も以下もはどこにもない。

まさにそれが、世界中が求めている真の自由。

そして、全ては自由の結晶。

プライベートトークの感想メッセージ

先週末プライベートトークを行いました。

そこへきた、あすかちゃんが、「みんなきっとごかいしているから、これはつたえなきゃ」といっ

て、トークが終わってすぐに、彼女の感想と、みんなに伝えたいことをまとめてくれたので、シェ

アーさせていただきますねー。☺️

あすかちゃん、ありがとうー♥️

 

5月15日に、菜穂さんの個人セッションを受けさせていただきましたasuka と言います。
目からうろこなことが、多々ありましたので、メッセージさせていただきます。
私が菜穂さんの存在を知ったのは、今年に入ってからで、3月に初めてサットサンに参加させていただきました。
そこで、初めてあの緊張の沈黙の時間を経験しました(^o^;)

今回、個人セッションに参加しようと思った理由は、特別にはなく、丁度 お知らせメールを受け取った時に、菜穂さんとゆっくりお話してみたいし、タイミングかなーと思い申し込みました。

ただ、今までの、菜穂さんの動画や、サットサンのご様子から、何を質問しても、『起きていることが起きている』とか、『それをしている行為者がいない』とか言われて、もしかしたら、45分くらい、あの『緊張の沈黙』なのではないだろうか( ̄▽ ̄;)と、内心ドキドキしながら参加いたしました。

実際に、指定されたお部屋に行くと、
「サットサンなどでは、なかなか聞けないことを、なんでも聞いてくださいね」と、とても優しい菜穂さんが迎えてくださいました(o^-^o)

私は、普段、他人に自分のことを話すのがとても苦手で、色々なことを封印してきました。
しかし、自然な流れで、菜穂さんには、過去の辛かった記憶を話せました。
『それを、経験している私はいない』などと菜穂さんに、言われるかな?と予測していましたが、菜穂さんは、「昔の悲しみ、過去のことが出てきてしまったら、それはそれなんだけど、それを大切に思って悲しむ必要もないし、悲しみが出てきちゃっても、決して悪いことではない。みんな悲しみをさけようと、当たり前に思っているけど、何が起きてもいいんです。」とおっしゃってくださいました。
ここで、私は、菜穂さんて、思っていたより人間的😍と感動。
そして、「みんな、いろんなことを言いたいけど、なかなか話すところがないですよね、人前ではいい人でいようとするし、回りに嫌な顔もできないですよね。」ととっても優しく、気持ちを汲んでくださいました。

そこで、私は、思いきって、個人セッションでも、あの沈黙だったら、どうしようかと、緊張して来た旨を菜穂さんにお伝えしました。

そうしましたところ、菜穂さんは、「あの会場の重たい空気、緊張感を作りだしてたのは、あたしなのー!?!?」ととても驚かれていました(@_@)
こっちが、びっくりです(^o^;)
「このメッセージは、こんなに気楽なのに、なんでみんな深刻なんだろーって思ってたのー>^_^<」と。
「みんな、あの、緊張感で、個人セッションに来ずらいのかなー、こうやって、お話したい人、きっと、いっぱいいるよね、サットサンで終わってしまうと、あの後、どうしたらいいか、みんな、わからないかも」とおっしゃっていました。

正直、その通りです(^ω^)

そこで、皆さんに、お伝えしたいです。
個人セッション‥…あの沈黙ないから大丈夫ですよ(o^-^o)‼‼
菜穂さん、めちゃくちゃ優しいですし、人間的です(^^)

とぉっても楽しくて、あっという間の時間でした(o^∀^o)

とは言え、個人セッション、30分で、予約終了だったそうなので、経験できて、HAPPYでした❤

そして、そして、菜穂さんは、個人セッションが、とぉーっても大好きだそうです🎵

 

障害物競走

二元の現実では、毎日いろいろな出来事があり、それに対応して生きている。

毎日、習慣的にこなしていくこと、それぞれの個人にとって、一大イベントのようなこと。

自分のことだけでない、社会のこと、会社のこと、家族のこと、子どものこと。

大体の人は、毎日、沢山のことをこなし、問題に見えることを解決し、その中で喜びとなることを

見つけ出し、経験しながら生きているだろう。

次から次と起きてくることに対応しては、それをこなし 次へ進んでいく。

まさに、人の人生は「障害物競走」のようだ。

そして、時々、走り続けていると、立ち止まりたくなったり、もう走り続けるのをやめたくなるかもしれない。

ある時、ふと疲れている自分に気づくことがあるかもしれない。

そんなとき、もう一つの現実への興味がわくかもしれない。

それは、出発地点から全くどこにもむかっていなかったということ。

元々、障害物競走を一生懸命は知り続けてきた継続的な存在は、

どこにも居ない言う可能性。

はじめから、すでにすべては満たされていたということ。

そこには、永遠の安らぎが存在し続けている。

もう一つの可能性は、、究極のリラクゼーション。

much love from love

がんばる!

「頑張る」と言う言葉は、人間にしかきっと当てはまらない。

だって、本当は誰も頑張っていなくて、淡々と起きていることだから。

でも、そこに頑張っている感を感じられるのは、人間だけ。

それは、自分がそこにエネルギーを集中して、一生懸命やっていると感じているから。

そして、その当人に関係なく、周りからみての「頑張っている」も存在する。

これは、何時も言うように、良いとか悪いとかではなく、表面的に二元の現実で起きていること。

現象に良いも悪いも無い。

頑張っても、頑張らなくてもどちらでもいいの。それは、実際は同時に起きていないから。

表面的に起きていることの重要性は、いつもその個人にとってだけ。

人の表面的人生の価値は、幻想の私の価値観によって決まり、そこにのみ存在する。

つまり、いろいろな価値はあってないのに等しい。

そして、本当は誰も頑張っていないよ☺️

love you so much all ♥️