幻想のわたしは、常に何かを手に入れることと、苦しみを避ける二つの動きをしている。
人生は、この二つ動きの繰り返し。
しかし、普通は、よくなることが良いことで、もっと自分の望みを叶えることが
人生の目的だから、一般的には、普通のことかもしれない。
わたしは、苦しみから逃れるのに、ストーリーを一生懸命良くしようとする。
ただ、ストーリーをよくすることでは、苦しみから逃れられない。
なぜなら、ストーリーの中には、みんなが求めている避難場所はないから。
喜びの感情も、ワクワクの感情も永遠の避難所にはなりきれない。
どこまでいっても、ストーリーの中には、永遠に続く満足はない。
なぜなら、ストーリーの現実=分離の現実 つまり、完成じゃない現実だから。
みんなが求めているのは、完成だよ。☺️
それは、これからの完成じゃなくて、すでにある完成。
これからどこまでいっても出会えない完成。
だって、すでに完成しかないから。
so much love from love,
☆お知らせ☆
11月27日にオンラインサットサンを行います。
サットサンご参加希望の方は、
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10月オンラインサットサンサンプル
がご覧頂けます。
私はもう、20年弱、仏教や瞑想、禅、ヨガなどを探究してきているので、「幸せとは何か?」と問われたら、
「涅槃」と答えますね。
一般社会がくだらなく見えます。別に菜穂さんの話を聴く前から、(無常については)もう既に聞いてきていることです。
あなたの2冊目の本。これこそ、すべて、「個人的アイデア」
単なる個人的な体験談であって、どこまで信用出来るのか分かったものではありません。自分以外の「何か」が見たとありますが、その説明も不十分。ヨーガ・スートラも読んだことがないのでしょう。
私、私という想念はアスミタというのですよ。
ブッダの話を聴いただけで、それが落ちて預流果に悟った在家の話がありますが、トニー・パーソンズ自体、
信用できる人物ではない。彼は伝統派からは似非アドヴァイタと批判されています。
グレッグ・グッドのインタビューを読むと分かりますが、50年代から70年代にかけて著作活動をしていた心理学者B・F・スキナーの原理的な決定論、行動主義の教えとそう違わないそうです。
言葉に惑わされて、「凄い!」と思わされてしまう。いくら、被害者はいないと強弁しても「被害」がないわけではありません。各地の震災の被災者の前で、あなたが話をすれば、もう非難囂々でしょう。
私はもう、二度とあなたの話は聞きませんが、お願いしたいのはお父様がお亡くなりになっても、同じことをいって欲しいですし、将来、ご自分が病気になっても同じことをいって欲しいと思います。
私は晩年、皮膚ガンになる可能性が高く、この冬は特に痒みで苦しんでいます。あなたの発言は許せるものではありません。他のみなさんも目を覚ませて欲しい。楽園の様子だけを語られて、肝心の地図がない。方法論がない。
先生「もう、既に楽園にいるよ。」
生徒「その実感がないんですよ!」
このやり取りが一生、サットサンで続くのですよ。
時間の無駄だと思いませんか?
もう、コメントもこれで投稿するの、終わりにしますし、もう二度とサットサンには参加することはありません。これからは一般社会のブームはアドヴァイタより、マインドフルネスの時代ではないでしょうか。
ちなみに、ノンデュアリティというのは伝統派からの批判を避けるため、アドヴァイタという言葉を使わなくなっただけで、それまでは「ネオ・アドヴァイタ」と呼ばれていました。何も新しいことじゃない。