すでにある新しい可能性

ここから出てくるメッセージは、二元のものではない。

それは、誰かの為になる情報ではないし、実際は、誰かに伝えられているわけではない。

それは、元々分離の存在はどこにもないから。

ナチュラルな世界、分離の存在には永遠に知り得ない現実の描写。

ただ、それは特別な世界ではなく、ただみえないだけで、誰もがすでにたどり着いていて、

一度も離れたことの無い世界。

もうすでに誰もが知っている、「わたし」が生まれる前の世界。

分離は元々どこにもない。

あるのは、分離という概念と、それを所有している「幻想のわたし」だけ。

「わたし」と呼べる中心はどこにも無い。

あるのは、すでにたどり着いている、永遠に知れないすべて、愛 そのもの。

so much love from love

 

葛藤

沢山の幻想の私は、葛藤を持ちながら生きている。

葛藤は、表面的本意と、合わせなくてはならない現実との距離。

そして、人は沢山のアイディアの中、決まりの中で生きている。

それらが当たり前に存在していて、当たり前に正しい、真実、そう決まっている。

と思い込んでいる。そこから葛藤が生まれる。

しかし、これしか正しくない。これしか真実でない。これしか道はない。

「こうでなきゃならない。」なんてあり得ない。

なぜなら、実際は起きていることにまったく意味が無いから。

社会的ルール、風習さえも、元々は、個人のアイディア。二元の現実は、全てが実際は個人的。

全ては概念と言う、起きていることに対する後付けであり、社会が作ったルールにすぎない。

そして、それを分かりつつも、自分を抑え、決まったルールに合わせることをやめられない、「幻

想の私」がたくさんいる。

それには、自分の望みを優先するよりも、ルールに合わせている方が、わたしにとって、都

合が良く、安全であり、一定の幸せは保たれると信じているから。

しかし、すでに起きていること(ナチュラルな望みや、真に求めていること)よりも、後付けの概

念を優先し、社会の概念やルールに合っていない自分は十分でないと言うところを強く感じ、世界

中が唯一求めている、不満足、足りない感覚の終わりとは、全く逆のことがすでに起きている。

 

葛藤や苦しみはは、起きていることと、自分との距離。 距離の無いところには苦しみは存在しない。

つまり、涌いてきていることと、そこには合わせないとならないこととのギャップ、距離がある。

ここでいっていることは、良い悪いではないし、どちらが正しいということでもない。

もしおきていたとしたら、それさえも起きていること。

そして、実際は、起きていることと、距離のある存在はない。

ただ、求めていることは、「幻想の私」の表面的、概念的幸せではなく、ナチュラルにわいてくる

ことそのもの。

距離の無いところには、苦しみは存在しない。

much love from love

行為者はいない

ラメーシュバルセカールの教えの基本に、

「There is no doer」「行為者はいない。」

と言う言葉がある。

まさに、「解放」は、行為者の終わり。

そんな中心はどこにもない。

ただ、行為者がいないのと、表面的行動は全く関係ない。

そして、自分が行為者だと思っている存在は、つねにではないが、

いろいろなことで苦しむみ、様々な問題を抱えている。

自分がやっているために、間違えれば、後悔し、相手が間違えれば、相手を攻める。

将来に対する不安や、全てに対する責任も 自分でどうにかしないと行けないとおいう、

自分が行為者だと言うところからくる。

そこから、表面的に 深刻さ、争いや、精神的病気、いろいろなことが引き起こされる。

そして、この深刻さ、沢山問題を抱えた部分だけが、疑い用も無い現実になっていく。

行為者はどこにも居ない。だから、本当は苦しんでいる存在もないけど、

表面的には、そこが現実として捉えられる。

行為者の終わりは、無条件の愛そのものだけがのこる。

あるのは、すでに起きている全てだけ。

so much love from love

 

pure aliveness 純粋な生命

there is only pure aliveness

no matter what is appearing, there is only pure aliveness

anger, sadness, joy, bliss. peace…everything

there is nobody here to have it, experience it.

because nothing is happening for somebody.

there is only pure aliveness which is totally free to express itself.

あるのは、純粋な生命だけ。

表面的に何が起きていても、あるのは、純粋な生命だけ。

怒り、悲しみ、喜び、至福、平和。。。。。すべて

ただ、これらを経験し、持っている存在はない。

全ては誰かに向かって起きていないから。

あるのは、完全に自由に表現している純粋な生命だけ。

評価 

人は、時に自分が他人より勝っている所をみつけ、周りに見せる必要がある。

また、時に他人が自分より劣っていることを確認する必要がある。

この両極の動きは、「自分がそのままでは十分でない」ということの現れ。

だから、他人より勝っていると確認し、周り認めてもらうことで、安心したい。

他人が自分より劣っていると思うことで、安心したい。

周りと比べることによって自分の位置を確認し、また、上乗せされた「私はこういう人」

という価値を見つけることで、安心感を得ようとする。

しかし、これらの上乗せされた、評価、価値は、常に変化する。

気分によって、周りの評価によって、自己評価によって、状況によって、常に変化し続ける。

だから、「幻想の私」は何時も、これらによって、翻弄され続けている。

そして、どこに向かっているかも分からず、理由のない不満足がつきまとう。

どんなに完璧な評価をうけても、それは永遠に続く安心感にはならないし、

評価からは、真の満足感は得られない。

本当に求めていることは、評価によって与えられる一時的な安心感ではなく、

評価の前の、完璧なすべて。

それは、(誰もが)すでにてにしている、あるがまま。

love from love….

重要

この世に重要なことは一つも無い。

世界のニュースは、全てが深刻で、何かは、何かより重要。

ただ、その重要さは、何時も個人的。社会的問題、重要さに見せておいて、本当は全てが個人的。

それは、もとをただせば権威のコントロールによるところから来る。

周りをコントロールすることで、「わたし」を守る必要があるから。

そして、さらにそのコントロールのもとをたどると、「恐怖」から来る。

そして、さらに見ていくと、全ての「恐怖」は、いつも足りない、「分離」の感覚から来る。

なぜ、「恐怖」が「分離」から涌くのだろう。。。

それは、永遠ではないから。誰よりも生き延びたい、何よりも自分の幸せを望む「わたし」は

身体が終わりを向かえれば、そこが終わり。

そして、何時も安全ではないから。いつも、いつどうなるか分からない「わたし」をどこかで感じ

ているから、どこかに不安があり、完全な永遠に続く安心感は、そこには訪れない。

だから、何時も一生懸命生き延びようとしている。それは、もちろん意識的にではなくても。

ただ、これは良いとか悪いとかのもんだいではなくて、それが表面的には起きているということ。

そして、こんなことが表面的に起きていても、それでも、どこにも重要なことはない。

なぜなら、全ては、「幻想のわたし」の居る、「幻想の現実」の現れだから。

あるのは、重要さのない、コントロールのない、恐れの無い、満たされた、シンプルな世界。

みんなすでにたどり着いている、永遠の愛の世界。

so much love from love…..

カノン瞑想と素敵な仲間たち💗

昨日は、東京サットサンの二日目でした。

去年の7月以来、久しぶりに阿部さんと1時間くらいのコラボトークをやりました。

全然計画してなかったのですが、とーっても楽しかった☺️

やっぱり、阿部さんは面白くて、たのしいー!!!

 

 

そして、サットサン終了後、そのままさとうみつろうさんのコンサートに行きました。

みつろうさんとは、コラボ講演会でご一緒したり、去年石垣島のリトリートにも参加してくださっ

たり、何度もお会いしているのですが、彼のイベント行くのは初めて。

私の一番の興味は、カノン瞑想とはどんな瞑想なんだろうというところでした。

そして、みつろうさんが以前からこだわりをもっている、エラールという特別なピアノの音色はや

はり、普通のピアノと比べても、その違いは明らか。今までに聞いたことの無い素晴らしい音でし

た。

彼が、2000人ものお客さんとコミュニケーションをとりながら、進められたコンサートは、

笑いに溢れ、全体が一つになった感じで、みんなとても楽しそうでした。

そして、いよいよ待っていた、カノン瞑想。

彼がみんなに語りかける感じで、瞑想が行われるのですが、気づくと、あちこちですすり泣きをす

る人が、沢山居るのです。ガイド瞑想で、こんなに沢山の人が泣き出すのを始めてみました。

正直、カルチャーショック!

こんなに沢山の人を泣かせてしまうみつろうさんて、すごい!!

そして、来月このエラールのピアノをわざわざ運んで、日本中でカノン瞑想のコンサートをするそ

うです。しかも、大都市ではなく、小都市でやるそうです。

是非この機会に行って体験してみてください!!

こちらがみつろうさんのブログです。→ さとうみつろうさんブログ

 

 

そして、今週末一緒にイベントをする、happy ちゃん、Lica ちゃん&Fumito さん。

happy ちゃんは、昨日もテキパキとみんなをまとめていました!

最後に招待された方々皆さんが舞台に上がったのですが、そのすごいメンバー全員を知っているの

は、happy チャんだけではないでしょうか。彼女の人柄ですねー☺️ happy chan blog

 

 

LIca chan は、大分前からFacebookでは繋がっていたのですが、先週の打ち合わせでやっと逢うこ

とが出来また!お互い逢えるのを楽しみにしていたから、やっぱり逢った瞬間から意気投合して、

気づいら、3時間以上二人で話してました。笑

とっても声が可愛いくて、そして、ピュアで素敵な女性。

そして、すごい経歴の持ち主。

自分でファッションブランドを立ち上げて、パリコレにも出てしまったのです!凄すぎるー!!!

 

 

旦那様のFumito さんは、やっぱりアーティストという雰囲気が溢れていて、オシャレで素敵な男性

と言う感じ。ご自分で撮った写真の写真集も出していて、今とっても人気みたいですよー。

お二人のブログはこちら→ LIca chan & Fumito san Blog

 

 

みんなとっても生き生きと輝いていて、ライフはやっぱりとってもクリエイティブ💗

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☆お知らせ☆

4月3日に行われるイベント 「新しい時代の幕開け」引寄せの法則とノンデュアリティー

の席が数席空きが出ました!

お申し込みに間に合わなかった方、興味があるけどまだお申し込みなさっていない方、

どうぞこちらからお申し込みください。

お申し込みは、はこちらです。↓

https://eventers.jp/seminar/detail.php?id=107

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Life is Art ☆ライフは芸術

パソコンをたたく指先の感覚、コーヒーの香り、オレンジの甘酸っぱい味、車の通る音,

人々の話し声。。。

全てが平凡で、同時にミラクル!

どこを切りとっても完璧すぎる。☺️

同じ表現は二つとない。あるのは、常に新しい Expression.(表現)

全てが消えたとき、新たな現実が輝きだす。

Life is so creative.  ライフは、とっても創造的。

Life is the biggest art ever!! ライフは、世界で一番大きな芸術!

 

 

☆お知らせ☆

3月10日にスタートした、新しいサイト 「already in love」の 中で、

皆さんの質問にお答えする、ショートビデオコーナーを作りました!

サイトにメルアド登録すると、サイトの最新情報が届きます。

サイト登録

昨日アップした、ショートビデオはこちらです!→ answer video

Enjoy!! ♡

 

「これ」しかない 

「これ」しかない!

と、ノンデュアリティーのスピーカーは良く言う。

まさにその通り。

でも、「これ」しかない。を誰かが知っているのとは違う。

それは、「これ」しかない。「これ」しかない。と、認識したり、思い込んでも、

ちっとも自由でないし、心地よくない!

そこには、一生懸命それで、満足しようとしている誰かがいるから。

解放は、「わたし」には、起きない!

「わたし」という、小さな檻、限界のおわり。

そして、解放は、そこで終わりではなくて、新しい限り無ない現実のはじまり。

静寂や、平和なイメージが大きいかもしれないが、それだけではない。

もっと、ダイレクトで、明らかで、生き生きとした、エネルギーに溢れた現実の始まり。

霧が晴れた世界のはじまり。。。

so much love to all….