メッセージが生み出す誤解

おはよー💕

今朝、塩ちゃんがコミニティーでこんな

シェアーをしてくれていたから、みんなにも

シェアーをします。

これは、まさにメッセージに対する大きな誤解

の代表的例。

塩ちゃん、ありがとう💕

 

【狂気と覚醒】

例えば「私は神だ!、私は神だ!、私は神だ!」と大きな声で叫びながら道を歩いたら、病院送りかタイーホされるかだよね。

「私は神だ」という言葉には真実が含まれると思うけど、世間ではそれを言うと狂った人だとみなされます。

同様に「私はいない、私はいない、私はいない」といいながら歩いていたらやっぱクレイジーなヤツだと見なされますね。世間では。

非二元の「私はいない」「時間はない」「距離も空間もない」ていうメッセージは世間から見ると十分にクレイジーですよね。

なぜなら、世間では「私はいる」「時間も距離も空間もある」と思っているので反対の関係になってしまっているわけですね。

世間から非二元を見ると狂気に見えるし、非二元から世間を見てもアホに見える。どっちもこっちが正しいと思っている。

何でこうなっちゃってるんだろ?

最近、この問題解決するのどうしたらいいかでぐるぐるしてたんだけど、ボクの答えとしては非二元を押さえたうえで世間では私を演じて生きるというやり方でした。

だけど、それやってると自分が何なのかわけがわからなくなって、オレって何かおかしくね?ってなります。

OSHOは、勇気をもって狂気か覚醒か究極の地点に行きなさいと言いました。

白隠和尚のお墓のまわりには、たくさんの若い修行僧のお墓があるそうです。この人たちは修行中に狂気か覚醒かの地点に行って狂って死んじゃったんじゃね?ってビビります。

だけど、菜穂ちゃんはいつも究極のメッセージを言い放ち、ケロッとしてます。狂った様子もありません。しかも、カワイーキレイー。なぜ?

多分だけど・・・

菜穂ちゃんは、「私はいない」とか「時間も距離も空間もない」ということを信じてるわけじゃないんだよね。ただ、そうなだけ。

もう「私はいる」も「私はいない」もどっちでもいい。

「時間も距離も空間も」あろうがなかろうがどっちでもいい。

ただ、あるようにあるだけ。

何かを信じることが狂気でただあるだけが覚醒なんだよね。

 

まさに!

 

ここで言っていることは、毎回いうけど、

概念ではない。言葉をそのまま捉えれば

わかることではないの。

あるがままの描写。

ここで言っていることは、日常に当てはめて

捉えることができないこと。

だから、考えて言っているわけではないし、

学んできたことを、信じて言っているわけではない。

 

何かを信じているうち、信じようとしているうちは、

迷の中にいる証拠。

なぜなら、「信じる」ということ自体消えるから。

 

oshoがどういう意味で言っているかは知らないけど、

真実に関するアドバイスはない。

マスターと呼ばれる人は、教えとして、進んでいく道を

勧めることがあるけど、それはあくまでも

その人(マスター)のアイディア。

もともとない、新しく真じる何か、どこか向かう場所を生み出す。

つまり、永遠に続く分離の道へのレールを引いてしまう。

 

そして、次に何かを言える人はいない。

次に何が起きるかを知ることさえありえない。

 

もちろん、普段の生活の中のアドバイスなど

必要であれば、自然と起きてくるけど、

ここで言っていることは、一つ一つの問題の解決

の先のこと。

 

ストーリーをよくすることでは、永遠の満足は

生まれない。

もっともっと素晴らしい誰もが唯一求めている

究極の自由について!!!!(興奮する 笑)

そして、何よりも素晴らしいのは、もう誰もがすでに

それを手にしているところ!

 

そして実は、このメッセージに惹かれても、惹かれなくても

聞こえてきても、聞こえてこなくても、すべてはすでに

解放している。

すべては究極の愛の現れ。

 

love you all so much 💕

 

🌸シリルのブログ🌺

M1390327

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

1 × four =