人は、どこかに恐怖を抱えている。
なぜなら、「わたし」という存在は、完全でない、
周りから影響を受ける、いつ危険にさらされかねない
不安定な存在だから。
いつ、どんなことがその体に起きるかわからないし、
次にどんなアクシデント、不幸と呼べるストーリーが
起こるかわからないから。
もちろん、楽しい、エキサイティングで、喜びとなるストーリーも沢山湧いてくる。
しかし、それらは長くは続かない、永遠ではない経験だから、完全な満足はない。
そして、これらをどこかで感じながら、わたしという存在は毎日を生きている。
だから、「恐怖」は何かが起きて時に浮上してくる感情であって、この原因を
根底にわたしという存在は抱えているからである。
つまり、恐怖は起きた経験がきっかけになっただけで、
どこかで誰もが抱えている不安、不安定な思いが浮上したに過ぎない。
そして、この根底に抱えている不安や不安定な思いは、幻想の分離の存在
にのみに起き得る。
なぜなら、実際は、全ては明らかであり愛でしかないから。
恐怖も究極の愛の表現に過ぎないが、恐怖を二元の現実で現実として捉えた時に、
愛と恐怖は同時に存在し得ない。
人々は、表面の問題にだけ目を向けるが、
実際は分離からくる根底にある恐怖から
様々な個人的問題は現れている。
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