緊張と警戒

ほとんどの人間は、自分と周りという分離の現実に生きている。

 

そして、この分離の現実では、人々が様々な状況によって

 

色々な感情を持つ。

 

例えば、先日行われたクリスマスパーティーのような

 

シチュエーション、場所では、人々は、「大勢の中の自分」

 

という自分を強く確認することで、様々な思いが湧く。

 

それは、周りを見ながら、周りの人々ではなく、

 

大勢の中の自分に常にフォーカスが行くから。

 

新しい人々の中に入り、自分がどう見られるか?が気になったり、

 

どう対応すべきか?と考えたり、

 

また、新しい出会った人たちと初めて話すとき、

 

人によっては緊張する人もいる。

 

また、みんなの中で一人ぼっちになったらどうしよう?

 

という不安を抱えているかもしれない。

 

どう、その場で楽しむべきか?考えるかもしれない。

 

もちろん、新しい出会いに対する期待もあるだろう。

 

人は状況により、たくさんの思考を持ち、あらゆる状況を

 

想定し不安を持ったり、緊張したりして、

 

どうすればいいかを考える。

 

これらのことは、特別なことではなく、分離の現実、

 

日常で常に起きていること。そして、これらのことで

 

エネルギーを知らずに消耗して疲れている。

 

先日行われたクリスマスパーティーは、いつものみんなの

 

捉え方と少し違うことが、たくさんの人に起きていたように見える。

 

それは、みんなからもらったメッセージに

 

「今まで参加したパーティーで一番楽しいパーティーだった」

「あんなにリラックスできたパーティーは初めて」

 

というメッセージが多かったことからもわかる。

 

表面的には盛り上がっているように見えるパーティーでも、

 

本当に楽しく感じているかはわからないし、ましてやパーティーで興奮はあっても

 

リラックスは普通あまり感じないから。

 

みんなが口々に声を揃えていうということは、何かみんなの中で

 

共通して感じていたことがあったのだと思う。

 

それは、もちろん、オーガナイズしてくれたシリルの努力や愛情が

 

みんなに伝わったり、悟史くんが司会で会場を盛り上げてくれて、

 

アットホームな雰囲気が生まれたのも一つの大きな要因ではある。

 

そして、初めにサットサンで話した、「ナチュラル」のキーワードが

 

みんなに浸透していて、すでにリラックスしていた気がする。

 

みんながコミニティーで繋がっていたのもあるね。☺️

 

つまりリラックスをパーティーのようなシチュエーションで感じられるのは、

 

みんなに「私」「自分」にフォーカスが行っていることからくる緊張感、

 

警戒心がなかったということ。

 

それは、状況の影響もあるけど、それぞれがメッセージによって

 

すでに緩んでいて、オープンだったからだと思う。

 

もちろん、二元の現象界の話で、究極の愛とは話は違うけど、

 

リラックスによって、また、サットサンで究極の愛に触れたことで、

(本当は常に触れているけど)

 

分離からの受け答えでなく、ナチュラルな愛からの表現(みんな)で溢れていたように見えた。

 

言葉にすると、とっても分かりづらくて、伝わりづらいけど、

 

要は、クリスマスパーティーの会場であふれていたのは、

 

「大勢の中のわたし」に執着したエネルギーの集まりじゃなかったよ!

 

ということ☺️

 

本当に愛がいっぱい溢れた素晴らしい空間が表現されていたのは

 

みんなのエネルギーの表れそのものだからね❤️

 

またみんなでパーティーしようねー!!

 

みんな大好き❤️

 

菜穂

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