スターピープル54号

ナチュラルスピリットの雑誌、スターピープル54号が発売されました。

今回もインタビューが掲載されています。今回は、無条件の愛、恋愛について少しお話させて頂きました。大きな書店さんには、おいてあるそうです。

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Q & A

Q 自分だと思っていたアイデンティティが一つな一つ剥がれていき、あぁ、何者でもないんだという理解が訪れたとき、なんとも言えない平板な世界になってしまった!と喪失感のようなものを覚えました。(笑)見るもの全てが、自分だという認識はなく、どちらかというと鑑賞者として対象と離れたところにいる自分を感じています。いずれは、このような境界も溶けていき、全体性が感じられらるものでしょうか。
時間軸の中でお話してしまいましたが、もしプロセスがあるとしたら、、、ということで。

A これは、良くあることで、そして皆さんが勘違いなされるところです。
観察者と、離れたところでみているのは、実は、’幻想のわたし’なのです。
何となく、自分では無い感じがしますが、それは、距離を置いた状態を保とうとしているようなもので、全くここで言っている
自由ではありません。

自由は、そのみている観察者の消滅です。

スカイプセッション後日のMailより。。

A 目からウロコというか、おどろき・・・というか、ちょっとしたショックを受けた、という感じです。 非二元のメーセッジは私の持っていた悟りのイメージやス   ピリチャル世界の常識もひっくり返すのですね。

Naho  はい!きっと驚かれたかとおもいました。

実は、スピリチュアルではないのです。笑

A
昨日はショックで、聞き忘れたのですが、悟りが宇宙意識、純粋意識、全体意識と呼ばれるような意識ではないとすると、
いろいろな方が語られている、気付きの意識でもないのだと思われますが、それでは一体何なのでしょうか。
もちろん言葉では表現出来ないものなのでしょうが・・・

Naho
はい。これについてフォーカスを当て、語り続けるということは、結局、個人が意識し続けることと同じです。
そして、ここでいっている、完全な自由とは関係ない話です。例えて言うならば、重力の性質について語っているようなものです。笑 ちょっと違うかもしれませんが、重力は誰かに気づかれる必要がないのとおなじです。

Naho
解放(自由は)個人という収縮した感覚がきえ、全体がのこることです。しかし、個人がそこにいると、分離が起きるので、あるがままでは、満足の無い感覚を生むのです。つまり、個人が何かを知ること、理解することではないのです。

A
悟りも普遍ではないというか、覚者によって色々と違うものを指しているとしたら、わたしは一体、何を求めて、何をしているのでしょうか?
そのわたしというのもいないとしたら・・・、なんだかなにもかもわからなくなってしまいました。

それは、悪いことではありません!
実は、求めることじたいがもともとないのです。

個人とは?

Q一体個人とは何か?、というのがそもそもわかりません

A 個人は、自分というアイディアだけでなく、自分が身体の中にいるという感覚です。そして、世界とはなれている感覚です。

Q自我(エゴ)の事でしょうか?思考する脳の事でしょうか?

A エゴという言葉はあえて使いません。そして、思考する脳の事ではありません。自分は身体であり、世界とはなれた収縮した感じを持った自分という存在です。

脳は、何も無い空間が脳として働き、他のことと同じように、全ては起きているのです。

Q わたしが想像するわたしの事でしょうか?ボヂィマインドと言われてる者(?)の事でしょうか。

A はい、人は、自分を想像して、生きています。でもそれは自分が自分の身体だという思い込みがあるからです。