思考は問題ではない
絶対的な愛
ひとつひとつの触れる感覚、変化する気持ち、何かの味、変化する音、身体の全ての感覚。
全てが完全な愛。これが、ライフの完成のすがた。
人間は、もうすでに完成していて、何もこれ以上付け足すことが出来ないことを知らずに、
何時も何かになろうとして、どこかに向かっている。
「これ」以上はない。
何時も距離が無い。一度も離れることさえ出来ない。
ライフだけが完全な愛。それがどんな形であろうとも。。。
本の発売☆『すでに愛の中にある』
4月上旬 『すでに愛の中にある』が 発売されます。
ノンデュアリティーに興味のある方は勿論!また、無い方にも興味深い内容になっています☆
ご予約はこちら↓
明らかすぎてみえない
手のパソコンを打つ感覚、座っている感覚、時計の針のおと、
小鳥のさえずり、チョコレートの味。これが起きていること。
世界中が求めているものは、時間の中、次の瞬間には絶対ない。
だって、それは夢だから、本当は起きていないから。。。
だって、無時間のこれしかないから。。。
みんなどこに向かっているの?何をそんなに急いでどこにいくの?
いつも貴方のいる場所が、探している場所。。。。。。。
もうすでに。。
みんな探求をして自分が何か特別なこと、真の自由を自分の為に見つけようとする。
これが探求。
でも、もう既に完成されている全てがあるだけだから、何かが全体を見つけることは出来ない。
探究自体が逆さまの行動。
もうすべてが完璧で、何かが変わる必要がないこをとさけて、探求し続けてる。
でも、それは、貴方が世界から独立した自分だと信じているから。
幻想の個人は、あなたではない。限り無ない全体があるすべて。これがあなたの真のすがた。
憎しみ
怒りは、瞬発な感情。憎しみは、ストーリーを真実として受け止めた、時間の中の感情。
主体客体の現実には、憎しみ生まれることがある。それは、他人の行動がその人の自由意志から
きていると信じているから。そして、他人の行動のせいで自分が犠牲になったと感じるから。
でも、自由意志と選択はどこにも存在しない。
世界中の人の行動が、たったひとつの同じ空間から現れていることを見たとき、
憎しみという感情は、姿を消すだろう。。。
無時間
無時間の中に見かけ上の時間、過去と未来が現れる。
でも何時もあるのは、無時間の空間だけ。しかしいかにも、未来と過去が現実的に存在しているようにかんじられる。
それはどうして?
みんな自分はその身体(キャラクター)で、過去から未来へと時間の中を生きていると思っているから。
でも、よーくみると時間は想像の中にしか存在しない。つまり、時間が想像の中にしかなければ、自分も想像の中にしか存在しない???
では、本当の私は一体どこにいるの?
存在性としての(あなた)は、無時間の空間すべて。
私という檻
全ては既に完全に自由。
個人は、本当はすべてが自由なのに、私は自由でない。苦しいと感じている。。
それは、個人が自分と言う制限、檻があると信じきっているから。。。。
本当は、どこにも檻はないのに、自分で作り上げた想像のおりに縛り付けられていて、
いつも苦しい。
でも、個人はその檻が一番大切で、安全な場所だと思っているからどうしても手放せない。。。
本当は、檻も無ければ、自由も全く失っていないのに。。。
個人という想像の檻は、全体と言う自由の中の幻想の檻。
思考
思考は、言いたいことをいう。
これが問題だ。これを改善すれば良くなる。これを手に入れたい。どうすればいいのだろう?
やったー、うまく言った。自分が頑張ったからだ。あいつはこんなことをすべきでない。
これをしなければ良かった。ああすればきっとうまくいったのに。悟りをてにいれたい。
もっとこうしたい、ああしたい。。。。
それがどんな言葉であろうと、何も無いところから、涌いては消えていく、言葉。そして、そこには実際意味はない。
でも、幻想のわたしはこの思考を純粋に信じている。(実際は幻想なのでいないけど。。。。)
そして、思考の言葉に重要性、真実性が出てしまうのは、分離した小さな私を自分だと思い込み、感じているから。。。でも、どの思考も全く真実でないし、思考自体は何も知らない。。。。
思考自体に問題はなく、よくも悪くもない。ただ、涌いては消えていく、全体の表現。
この世に存在する他の全ての現象とおなじように。。。