Good morning beloved!
おはよ♡
先日、菜穂の一冊めの本「すでに愛の中にある」の出版社の社長、
今井社長とお会いしていました。
日本でノンデュアリティのメッセージをシェアーすることに
なったのも、初めてのサットサンの主催も、阿部さんにお会い
するきっかけも、今井社長でした。(表面的にね)
(ちなみに、干支も一緒。笑)
その頃からお世話になっています!
そして、数日前今井社長から、ナチュラルスピリットが出版
している本を送っていただきました。
そして、その内容がノンデュアリティといって送られてきたのですが、
ノンデュアリティではなかったので、(今井社長ごめん! 笑)
返信のメールの一部を、みんなにもシェアーします。
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ノンデュアリティ難民ができてしまう理由がわかりました。(笑)
いつも言っているのですが、誰かが全体になるのではなく、誰かが全体だと気づくことでもなく、
気づける誰か(何か)は初めからない。初めから分離はない。というのが、ノンデュアリティ
です。
ただ、私も「人間の苦しみのメカニズム」「私のキャラクター」について語ることはあります。
そして、「わたし」がメッセージに触れていくことで、楽になっていくことは、表面的には起きて
きます。
ただ表面的で、誰かの変化は、究極のメッセージが指していることではありません。
なぜなら、自然と表面的に起きてくるだけで。そんな誰かはいないのですから。
そして、これはまだ夢の中のお話です。
ただ、私というキャラクターは、自分の幸せを求めるエネルギーなので、
ここがなかなか聞こえてこないのです。
真に求めていることは、初めからない、誰かのものにはならない、
「すべて=愛」です。
「私という檻」をよくすることは、居心地の良い檻を造っているような
もので、居心地の悪ささの元になっている、檻は変わらないのです。
ただ、私は、すべてのあらわれですから、現れ自体は愛そのものです。
ただ分離の存在にはそのことは、真の意味では知り得ないのです。
なぜなら、分離が消えた時に、初めて真の愛が現れるからです。
ただ、わたしという檻は幻想です。
誰かが、何かを手に入れるのではなく、全てを失った時に
これが自然と明らかになります。
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メールから抜粋
世界中が求めているのは、個人という枠を超えたはじめから満たされた世界
love you all ♡
Naho
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