愛の表現

ここでいう「愛」は、愛情を見せることではない。

ここでいう「愛」は存在そのものの別名だから

 

ノンデュアリティは、全くスピリチュアルではない。

色々なところで言っているから、何度も聞いているかもしれないけど、

もう一度(笑)

スピリチュアル=分離の存在が今をよくするための方法。

つまり、ストーリーの中のこと。

ノンデュアリティ=ありのままの世界。

つまり、ストーリーとは関係ない。

そして、人間がみる現実は、ストーリーのようにあってないもの。

これだけ聞いてもピンと来ないかもしれないけど、

美弥ちゃんが素敵なブログを書いてくれたから

それを紹介します。

 

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菜穂さんからは「信頼」と「愛」、
そして「安心」を感じます。

でも彼女が誰かを「信頼している」訳ではなく、
みんなに「愛を与えている」訳でもなく、
「安心」という行為をしている訳ではなく、

ただ、「信頼」であり「愛」であり「安心」なんですね。

それが全て一体なんです。

本や動画でしか
ノンデュアリティのメッセージを知らない人には、
何のこっちゃ?って感じかもしれませんが、

会議室の中での質疑応答だけではなく
一緒にお茶したり散歩したり、
そんな時にジワ〜っと、
浸透するように感じて来るんですよね。

そんな感じで、一緒に過ごす時間とともに、
どんどんリラックスした感じになって行きました(^-^)

自分の中で当たり前になりすぎて、
気づいてなかった緊張に気づいたり・・・

あと、よく菜穂さんの目が特徴的って話が出ますが、

私はですね、防御のなさの表れだと思うんですよね。
1歳とか2歳の子が、
興味を持ったモノをジーっと見つめる時の目。

以前、阿部敏郎さんが、
サットサンだったか何かのトークの時に菜穂さんの事を、

普通の人は、目の前の人に対して何かと取り繕ったりするもんだけど、
(特に、年上で有名な人に初めて会うときは)
彼女には全くそれがなくて、目を合わせた瞬間に、
あっ、と思った。

とか、

目の前の人が、自分の話が分からなかったら、
何とか分かってもらおうとするものだけど、
彼女には全くそれがない!

って話してたのが記憶に残ってまして、

そこもまた「信頼」であり、
「防御のなさ」なんだと思います。

ノンデュアリティは、本当はみんな
心のどこかで知ってる事。

言葉で理解してもらう事の意味のなさに気づかないうちは、
菜穂さんのトークも
ちょっと意地悪に感じるかもしれないけど、
彼女には分離がないので、
みんなが頭で分かってくれなくても安心していられるんですよね。

「分離」してる私たちからすると、
そこを共感力の無さと捉える人もいるみたいだけど、
私は「愛」であり「信頼」だと思いますよ(・∀・)♪

人はみんな、
友達とか仲の良い人と話している時も、
当たり前過ぎて気づかないくらい、
小さく小さく「自己防衛」しながら過ごしてるんですよね。

いつも周りの人の目の中に見ているその反応が、
菜穂さんの目の中にはないから、
ちょっと不思議に思っちゃうのかな?
と思いました。

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🌺美弥ちゃんブログ🌺

美弥ちゃんの文章は、いつもとってもナチュラルで、

とってもわかりやすい!ありがとう美弥ちゃん♡

 

全ては、無条件の愛の現れ。

だから、ここでは行動からくる表現に向かって、

「愛」と言っているのではないの。

実は、感情もそれだけを見れば、愛ではない。

ここでいう愛は、存在そのもの。

愛は、これから与えるものではなく、いつもあるもの

だから、いつも無条件。

みんなは、愛そのもの。

全部!!

だから、いつも思いが湧いてくる。

love you all ♡

 

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