人は、自分であることを、当たり前に感じ、存在し続けていると感じている。
そこに、つねに誰かがいることを確信している。
生まれたときから、死に向かっていると誰もが当たり前に知っている。
また、次の瞬間に向かっているため、先が見えない恐怖や不安を生む出来事が、時折起きてくる。
誰もが死を迎え、また、家族や愛する人の死を経験する。
死が近づくにつれ、誰もがたまらない恐怖に襲われることがあるだろう。
そこには、確実に存在し続けていた、自分の終わりへの恐怖と、死の後にどんな世界がまっている
かへの不安と恐怖の二つあるようにおもう。
(また、残していく者を心配したり、沢山のさまざまな思い、感情が現れるだろう。)
それは、「失うことへの恐怖」、また、「未知の世界への恐怖」である。
「恐怖」自体は悪くない。「恐怖」は完全なあらわれ。
それは、まぎれも無く、すでに起きている現れ。
でも、もう一つの可能性がある。
「失うということができる」と、「これ以外の世界が存在する」
ということは、本当にそうだろうか?
もともと「何かを失うことはできない」し、「これ以外の世界はどこにも存在しない」
という可能性。
辛く苦しい「恐怖」から、単なる「恐怖」に変わるかもしれないという可能性。
「人類革命」の可能性 ☺️
Soooooo exciting !!!
so much love from love
☆お知らせ☆
昨日から募集が始まった、三千院のリトリートが満員御礼になりました。
沢山のお申し込みありがとうございました!
まだ、キャンセル待ちを受け付けています。
また、残念ながら、リトリートのお申し込みが間に合わなかった方は、
日帰りの三千院サットサンはまだまだ募集していますので、
ご興味のある方は、是非ご参加ください☺️
お申し込みは、こちら からです。
2日目に、祖門さんと菜穂の対談も予定していますので、お楽しみに♡
7月1日の名古屋の個人セッションのキャンセルが1枠でました。
ご希望の方は、こちら からお申し込みください。
三千院は 贅沢過ぎて 低所得者の身には手が出ず 諦めました (@_@)
でも、「私」が無理に経験しなくてもいいんだよね~。
「私」だけが楽しい経験を 経験出来ないんじゃなくて
みんなが楽しむ。楽しんでいる。それでいいかな。と今は思います。
経験は どれも同じですし・・
それにしても 新しいものが見たい、経験したい経験者=個人のエネルギーが強くて
困ります・・(>_<)
もともと「何かを失うことはできない」し、「これ以外の世界はどこにも存在しない」
とてもいい言葉ですねだーい好き
6/24 高齢の父が手術をして、再発した癌があちこち転移していたことがわかりました
あれこれいじりまわすことはやめ、必要最低限の処置で閉じていただき、余命1年という話でした
身体の死について 死ぬ誰かはいないということについて
何もわかってはいないけど 父との限られた時間を大切に感じています