二元の現実では、毎日いろいろな出来事があり、それに対応して生きている。
毎日、習慣的にこなしていくこと、それぞれの個人にとって、一大イベントのようなこと。
自分のことだけでない、社会のこと、会社のこと、家族のこと、子どものこと。
大体の人は、毎日、沢山のことをこなし、問題に見えることを解決し、その中で喜びとなることを
見つけ出し、経験しながら生きているだろう。
次から次と起きてくることに対応しては、それをこなし 次へ進んでいく。
まさに、人の人生は「障害物競走」のようだ。
そして、時々、走り続けていると、立ち止まりたくなったり、もう走り続けるのをやめたくなるかもしれない。
ある時、ふと疲れている自分に気づくことがあるかもしれない。
そんなとき、もう一つの現実への興味がわくかもしれない。
それは、出発地点から全くどこにもむかっていなかったということ。
元々、障害物競走を一生懸命は知り続けてきた継続的な存在は、
どこにも居ない言う可能性。
はじめから、すでにすべては満たされていたということ。
そこには、永遠の安らぎが存在し続けている。
もう一つの可能性は、、究極のリラクゼーション。
much love from love
評価されること、自分という確固たるものの確証を求めて生きる毎日に疲れをかんじます。
もともと、すべて私たちの脳の思考が作り出したことで、本当は既にすべて満たされている、そんな事実を聞くとホッとします。
しかしながら、そのことさえまだ言葉で理解していて、それをわかっている自分を評価したり、何かを求めている自分もいることを発見します。やれやれ、と思います。
質問させてください。
今まさに、激しい頭痛で泣いています。
この肉体的な苦痛から
逃れる術はないのでしょうか…