究極の自由は、どんな状況や環境にも全く関係ないし、影響されない。
そして、どんな時も、つねに平等に与えられている。
究極な例で言えば、美しいビーチを大好きな彼と歩いていても、
牢屋にひとり、監禁さられていても、
同じ自由が平等にあり続けている。
まさに、究極の自由。
勿論、どちらかを選べたら、美しいビーチを誰もが選ぶだろう。
ただ、究極の自由は環境や状況に関係なく、全てに平等に与えられている。
ストーリーは、何時も平等ではないが、ナチュラルな現実は、常に全てに平等にあり続けている。
今までの人生のストーリーを振り返ると、究極的な悲しみの中にいるはずなのにどこかで変わらぬ静けさを感じていたり、熱狂を感じている最中でもふと何も起こっていないような平凡な感覚になったりして、その直後に”我にかえった”ようになることが時々あったのですが、あれこそが「これ」で「自由」だったんだなぁって、今ならわかります。
そして「これ」はいつでもここにあるんですよね。本当に、平等で、永遠の、自由。
yes!!! lots of love, ♡