All there is is love
All there is is love which you ever look for.
Can’t be away from love you ever look for.
You are already in that, in love you ever look for.
and yet, you never going to find what you ever look for.
because there is no one there to find it….
This is amazing paradox for nobody…. 🙂
あるのは、貴方がいつももとめている愛だけ。
その愛から一度も逃げることは出来ない。
貴方は、すでにその求め続けている愛の中にいる。
ただ、貴方が、この愛永遠に見つけることはない。
なぜなら、そこにはその愛を見つけられる誰かはいないから。
ライフは、誰に対してでもない、素晴らしすぎるパラドックス☆
「私」が居なくなるとは、全体性にそ偏見がは溶け込み、そこには“愛する者がいないので、愛がなされているとは言えないのでは、
また、すべてを愛したい、愛するがゆえに、偏った嗜好性を持てない、それは、何者にも、何物にも成れないので、何もどこにも“行い”が出来ない。
すべてを平等に偏らず同時に愛するがゆえに、その愛する者は、何かには、限定された性質には成れない。成ってしまったら、それは現れているものたちと同じ個性を有する者に成ってしまう。
すべてを愛するがゆえに、自分という概念は存在出来ない。それは「愛する者」が「愛」自体に成ったが、戻ったが、それは何も譬えられる性質が無いこと、偏れない自分に成って行くこと。
「愛」に成る=「愛」などというものでもない。何も無い。という事実があるだけ。
我々は、気づきの数々は、愛の中になんかにはいない。それはこちら側の都合の良すぎる解釈に過ぎないと思います。