ノンデュアリティーのメッセージに対する誤解

良く、「個人が出来ることは何も無い」と聞いて、落ち込んでしまったり、これからどうしていいか分からない、ということを聞く。

でも、ここで言っていることは、「個人が何も出来ない」といっているのではなく、「何かが出来る個人は元々いない」と言っているのです。

全ては、個人という幻想の力なしにすでに起きています。

分離した何かが、独立して何かをしていることがない現実があるだけ。

そしてそれは、起きていて、同時に何も起きていない現実。

ライフは、永遠に謎。。。

One thought on “ノンデュアリティーのメッセージに対する誤解

  1. nao

    心というものが体の中にないように
    自分というものも実態がないということですよね。
    笑いが込み上げて来るように
    悲しみもやっては来るけど
    ただそれを感じているだけ。

    そこに私はいない…

    あぁ、本当に謎(笑)

    Reply

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