Q194ページ…
「起きていることがあるだけです。」は、いまの私にはOKなのですが…
196ページ…
「実際は何も起きていないのです。」を読むと、一挙に???になってしまっています。
どうもしっくり来ません。
菜穂 196ページ…「実際は何も起きていないのです。」は、理解ではなくて、描写ですよ。☺️
普通「わたし」は自分が確実に存在することをうたがいません。
真の意味で、私が存在しないことがわからないのです。「わたし」がそこにいると
全てがあまりにもリアルにだけ見えてしまうのです。でもあるのは、起きていて起きていない全体しか無いのです。
いつも更新楽しみにしています。
「すでに愛の中にある―個人のすべてを失ったとき、すべてが現れる」読ませていただきました。
その中で菜穂さんは「私(分離した)」は収縮したエネルギーと表現されていましたが、
他の覚醒者の中には「私(分離した)」は私という思考だと表現しています。
「収縮したエネルギー」と「私という思考」の違いが分かりません。
どのように理解したらよいのでしょうか。