私という檻

全ては既に完全に自由。

個人は、本当はすべてが自由なのに、私は自由でない。苦しいと感じている。。

それは、個人が自分と言う制限、檻があると信じきっているから。。。。

本当は、どこにも檻はないのに、自分で作り上げた想像のおりに縛り付けられていて、

いつも苦しい。

でも、個人はその檻が一番大切で、安全な場所だと思っているからどうしても手放せない。。。

本当は、檻も無ければ、自由も全く失っていないのに。。。

個人という想像の檻は、全体と言う自由の中の幻想の檻。

 

 

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