全ては、完全なライフの表現。そして起きていること以外はまったく存在しない。
しかし、全体ではなく、個人が中心になり、’わたしの人生’ に変わったとき、夢の現実だけが現実になったとき、全てがとてもシリアスになる。
そして、全てに重みと、苦しみ、悩み、いろいろなものがのしかかってくる。
でも、全てが単なる一つの動きで、普段の現実がまさに夢のように、実際は起きていないことを自分以外の何かがみたとき、この深刻さは、完全に姿を消す。
そして、あるのは、とても普通で、完全な今までとかわらないが、素晴らしすぎる裸のライフ。