Q 自分だと思っていたアイデンティティが一つな一つ剥がれていき、あぁ、何者でもないんだという理解が訪れたとき、なんとも言えない平板な世界になってしまった!と喪失感のようなものを覚えました。(笑)見るもの全てが、自分だという認識はなく、どちらかというと鑑賞者として対象と離れたところにいる自分を感じています。いずれは、このような境界も溶けていき、全体性が感じられらるものでしょうか。
時間軸の中でお話してしまいましたが、もしプロセスがあるとしたら、、、ということで。
A これは、良くあることで、そして皆さんが勘違いなされるところです。
観察者と、離れたところでみているのは、実は、’幻想のわたし’なのです。
何となく、自分では無い感じがしますが、それは、距離を置いた状態を保とうとしているようなもので、全くここで言っている
自由ではありません。
自由は、そのみている観察者の消滅です。